思秋期ライターの備忘録

気付けばフリーランス歴18年。インタビュー人数1000人オーバー。48歳の不健康女、原田園子が好きなことだけを勝手に書くBlog

余った予算はどう使う? すっごい依頼がきちゃったよ~

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3月ですね。日本では、今月が会期末というところが多いでしょうか。

(個人事業な私は年末締めの確定申告ですけどねww)

そんな年度末なある企業から、「こんな依頼、はじめて聞いたゎ!」という発注がきました。大企業、すごいね!というお話です。

 

予算が余ってるので、何でもいいから書いてほしい

その企業は、東京の中心地に自社ビルを何本か持つところ。最近できたノリノリの会社ではなく、歴史もある会社だと記憶しています。

私はここ数年、何度かお仕事をさせていただいてますが、「ギャラは決して安くはないけど高くもなく、その割に細かい修正が多い」という印象です。納期はゆるいことが多く、そのせいで修正も多くなるので、時間&精神的な余裕がないときに受けると、大変な思いをするところのひとつです。

さて、そんなクライアントから、メールがピロンッと届いたのが数日前。

「年度末で予算が余っています。何でもいいので書いてもらえませんか?」

この手の依頼は過去にもありましたが、ギャラはいいものの、クライアントに明確なGOALが見えていないために執筆にてこずることが多い案件です。しかも時間がタイト(月内納品しないと意味がない)ために、かなり疲れます。

結局、「何でもいい」と言いながら、実際に何でもいいというわけではないわけです。まぁ、当然ですけどね。

 

時間内から五十音をひたすら繰り返すだけの原稿でもいいの?と言ってみた

ちなみに今月の私は、先月の入院の影響で後ろ倒しした案件がいくつかあり、スケジュールはかなりタイト。お金はほしいけど、めんどうな案件は増やしたくないので、

「ホントに何でもいいなら書いてもいいけど、それって罠だからイヤだ!」

という趣旨の返事をやんわりとした表現で返したわけです。

すると、ほどなく返信が。

「本当に何でもいいんです。予算を消化したいので、助けてください」

へ? お金が余ってるから助けろと? しかも、必死かよっ!

個人事業でひーこら言ってる私には、まったく意味の分からない世界ですが、人助けをしている時間は、今の私にはない。ってことで、

「五十音を既定の文字数になるまで繰り返すとかならできるけど、何でもったって、そんなわけにはいかないでしょ?笑」

と、返しときました。すると翌日・・・

「それでOKです!よろしくお願いします。できれば2本、よろしくです!」

って、お前はアホか!

もちろんね、本気で五十音を繰り返すだけの原稿を納品したりしませんよ。それは自分が許せない。それにしてもさ、本当に何でもいいなんてあるわけ?

それって、予算を捨ててるようなものですやん!

 

余った予算は種まきに使う

どうにも理解に苦しんだ私は、「なんで?予算消化しないと、来年予算が減らされて困るってこと?」と率直に聞いてみた。

すると、こんな返事が・・・

「今の部長は、『あるものは有効に使う』という方針で、予算もそのうちのひとつ。あまった予算は、来年度以降も仕事をしたい取引先に使えという指示がでました」

つまり、今回余ったお金をばらまくことで、次に無理な依頼をしたときに受けてもらおうという考えなわけだ。つまり、種まき。

納得。深く納得。ある意味、販促費みたいなもんなんだねぇ。

聞けば、その部長さんは(会ったことないけど)、社内でも有名なやり手ならしい。

交際費も多いけど、業績はどんどん伸ばす。あまりに交際費が高く、「賄賂を贈ってるんじゃないか?」と疑惑がでたこともあり、それを正すと、「費用対効果の高い賄賂なら、どんどん送りたい。ただこの業界では、そんなおいしい話はない!」と言い切ったとか。おもしろい人だ!

ということで、私はまんまと賄賂・・・じゃなかった、ギャランティをいただくことに。とはいえ、その原稿作成に今、苦しんでます。ほんとに五十音を納品したい・・・。

アラフィフ男子の思うところ。ゆるい野心が心地いい。

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最近、同級生男子2人と別々に会い、よもやま話に花を咲かせた。

どちらも関西でバリバリがんばってる経営者で、なかなか立派なもんですが、たまたま同じフレーズが出てきたので、アラフィフ男子ってこんな感じのこと考えてるんかなぁ?と思いつつ、いい刺激を受けたという話。

 

共通してた3つの言葉

私は47歳で、彼らも同じく47歳(同級生なので当然・笑)。

どっちも拠点は関西…というか、神戸で会社を経営しおり、東京にもちょこちょこ出てきてる。そろって多忙なようで、当日になって声がかかり、私も時間が空いているというミラクル。

話の内容は、男女の会話であるにも関わらず、色気のある話はほぼゼロ。仕事がどうだ、不景気がうんぬん、でもチャンスはあるんちゃうか?みたいな話ばっかり。まぁ、それが私なんだよね(笑

で、共通して出てきた言葉は、

・オレは他の奴よりは稼いでるけど、今以上にガッポリ儲けたい感はない

・でも、まだまだ新しいことにも挑戦していくよ

・で、お前はこれから、何がやりたいの?

 

若かりし日と、一緒じゃない大人ジャンプ

若い頃は、いろんなことが分かってない一方で、パワーがじゃんじゃんみなぎってるので、新しいこと、無謀なことにどんどん挑戦する。それを「野心」というんだと思う。

その野心のせいで失敗することも多いけど、思わぬ扉がドーンッと開いたりして、高いステージに進んでいける。でもまた失敗したりして、そこから再び立ち上がることで、さらに成長するんだよね。

でも、年齢を重ね経験を重ねると、自分でできることとできないことを知っていき、パワーもなくなるので、無茶はしなくなる。

そこで、多くの人は挑戦をやめ、マイペースに生きていくことを選択するわけだけど、中には、手法を変えて上を目指す人がでてくる。

それは、若い頃のがむしゃらな感じじゃなくて着実。それでいて、しっかりジャンプする。

そして、この大人のジャンプは、方向もタイミングもしっかり見極めているから、結果として、若い頃よりより高く、より遠くに飛べたりする。

そんなあれこれの話を聞きながら、彼らのこれからのゆるい変化が楽しみだなぁと思った。

 

彼らの挨拶が、私の最大の刺激

そして、彼らのようなアラフィフになってなお上を目指す人は、「お前は何したいの?」と聞いてくれる。

常に前進することが当たり前の彼らにとっては、挨拶みたいなものかもしれないけど、実際にいう人って、なかなかいないんだよね。

そして実は、これが私を支える言葉なんだ。

いつも、ふいに聞かれるんだけど、ここで「私はこうしたいんだ」ってしっかりいえるように、いつでも準備しておこうと思ってる。そのためには、日ごろから、しっかり仕事ややりたいことをやっていないとダメなんだよね。

心地いい刺激をくれる同級生に感謝。

まだまだみんなで、高みを目指す!

マイペースにwww

ドクターの都合で腹腔鏡手術から、開腹手術へ。でも、そんなことには負けないよ!

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ずっと不調な子宮ちゃん。

もう、子どもを希望する可能性もなく、まかり間違って希望したとしても、懐妊の可能性はないお年頃。残るは、毎月の苦悶だけ・・・という状況で、完全撤去!を決断した私です。

心置きなく、仕事をしちゃる! 旅行も行っちゃう! 好き放題に生きちゃう~!

手術を何年も先延ばしにしてきた私。

理由は、恐怖。打ち勝てず、ウジウジした。

腹を切るとか、もう、訳が分からん。

でも、そんな不安のために決断できなかった私の背中を押してくれたのが、「腹腔鏡手術」というもの。お腹に3個の穴をあけて、子宮を切り取って、下から「ズリンッ!」と引っ張り出す方法。幸い、私は経産婦なので、多少子宮が大きくてもOKとのことで、前向きに手術を考えられるようになったわけです。

 

悪夢の電話は突然に

そんなある日、病院から電話がかかってきます。

「一緒にやるドクターの都合がつかず、開腹手術か、手術延期になります」

って、ちょっと待て!

一緒にやるドクターの予約、してたよね?

動揺する私は、軽くパニック!!

とりあえず、「今、この場では決められません」とごく当たり前のことすらいえない。まぁ、時間をかけて言ったけど(笑)

ドクターに「そうですよね。よくお考えになって、答えを出してください」といわれ、電話を終える。

え? ええっ? どうすればいいの?

とりあえず、アタマ真っ白。

動揺しながら、翌日ドクターの元へ行きました。

 

すべての条件が、ハラキリに通じている

ポイントはこんな感じ。

・予定日は、同席ドクターの都合がつかず、どうしてもできない。

・4月になれば、腹腔鏡手術ができる。でも、結局回復になる可能性は50%近くある。

・開腹手術なら、予定日にできる。

・他の病院で手術という手もあるけど、多くは2~3か月待ち。

・開腹は痛い。それは間違いないが、ペイントコントロールはある程度できる。

・2つの術式の最大の違いは、体の負担。腹腔鏡は1週間入院、2週間で社会復帰。開腹は、10~14日入院で、復帰に一か月。

 

もし、待つことで100%とは言わないまでも、80%くらい腹腔鏡になるなら、間違いなく待つ。でも、今の私は、少しでも子宮を小さくするために、薬を飲んでいる状態。それが2月までしか処方されないので(副作用があって半年しか飲めない)、4月には膨らんでいる可能性がある。ゆえに、50%の確率は、さらにアップしてしまう。

しかも、2月中旬手術にした理由は、息子たちが春休みになるため。こうなると、ランチ含め、店は普通に営業できるんだなぁ。

さらに、ライターの仕事も、2月手術で調整をしてきちゃった。そのため、わざわざ3月下旬スタートにした大型案件があったりして、これは自分でやりたいのよ。

ってことで、復帰が遅れるにしても、やっぱり2月に手術をやるしかないんだとハラキリの腹をくくった(ややこしい・笑)

 

ということで、私の最高の強みを発揮!

ここで私の、「決まったことを後悔しないために、いいことを徹底して探す技」発動!!

前向きな心を授けてくれた、両親と神様に感謝。私は「後悔しない」体質なんだけど、この考えの裏には、徹底的に「後悔しないための理由付け」をすることがあるんだな。ほんとに、都合いい解釈の天才!

という前提で調べてみると、開腹も悪くない。

・肥満で高血圧な私は、ハイリスク手術になるので、手術時間は短い方がいい。開腹だと1~1.5時間で終わるらしいけど、腹腔鏡だと3~5時間。麻酔短くて済むってことで、いいね!ポイント1

・手術中は、のどに挿管するらしい。これがのどに違和感を残し、後々不快なんだそうだ。私は驚くほどのどが弱く、そんなことされたら、咳がとまらなくなる。お腹開いた後に咳とか、考えただけでも地獄!手術時間が短ければ、このトラブルも少ないと思われ、いいね!ポイント2

・回復の場合、ドクターの目で確認できるので、周りの状況もわかる。癒着とかね。私の場合、長い間不調なので、癒着の可能性は高く、その点もいいね!ポイント3

・目覚めて、「結局腹切ったんかい!」と思うより、最初からそうなるとわかった方が、なんかラクそうってことで、いいね!ポイント4

・父似の私は、がん体質なので、いつか手術を受けることになると覚悟してる。その一発目が、手術の中では簡単といわれる子宮全摘でよかったじゃん。ってことで、いいね!ポイント5

・息子たちに、なんか自慢できそう~ってことで、いいね!ポイント6

・大変な手術だと、喪失感より達成感になりそうでよさげ。いいね!ポイント7

・入院が長い分、少ない食事が長引くわけで、ダイエットできちゃったりして~♡ いいね!ポイント8

ほんの数日で、こんなにいいね!ポイントが見つかったわけで、かなり気分は軽くなった。というか、「開腹の方が私にはよかったんだ!」とまで思ってる。

ほんとに、ラクな性格してるわぁ~。

ってことで、2月15日に腹切ります!

起こるべくして起こったキュレーションメディア問題。素人同士で作ったんだから当然だ!

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Welqに端を発し、DeNA関連のキュレーションメディア9つがすべて非公開になりました。次いで、他の大手メディアにも記事非公開化が波及しています。ちょっと考えれば、いつかこうなるのはわかったはず。なのに、実際はちゃんと考えてなかった人が多かったようで、傷が広がったのは自業自得ともいえます。

ということで、実際に私のところに舞い込んできた数々の案件の裏側を、そのまんまに紹介し、自分なりに分析をしていこうと思います。

 

 いい加減な記事量産の裏には、にわかライターが多数存在した

今回の件で、「クラウドソーシングサイトを使って記事を量産した」というのは、すでにあちらこちらで言われています。

これを裏返せば、子供の小遣いのような価格でしょうもない記事を書く「自称ライター」がいっぱいいたことになります。今は「いい加減な記事が量産された」ことばかりがクローズアップされていますが、その裏には「いい加減なライターが量産された」ことにより、被害をこうむっている素人がいっぱいいることにも目を向けるべきでしょう。

ちなみに、キュレーションメディアの記事を書く人を「キュレーションライター」なんて、カッコいいネーミングで呼んだりします。でも実際にやってることは、ただのパクリ屋。

悲しいことに、「マニュアル」という名のパクリ指南書があり、それを鵜吞みにし、「まさか自分が片棒を担いでいた」なんて考えもしなかった(そして今でも考えていない)人が大勢いるのです。

 

キュレーションサイトとクラウドソーシングはともにヨチヨチ歩きのビジネス

この背景には、広告費目当てに簡単にキュレーションメディアを作ってしまったDeNAのような企業が存在する一方で、クラウドソーシングという、まだ歩き始めたばかりのビジネスがタイミングよく存在したことが関係しています。どちらも、まだ成長期をむかえたばかりのビジネスです。

クラウドソーシングは、本来、「企業が企業に発注」していた仕事を「個人に発注」できるようにしたもので、企業に属さない主婦や副業をしたい社会人が簡単に仕事を探せるメリットがあります。

一方。企業側には、「安く仕事を発注できる」という大きなメリットがあります(ここについては言いたいことが山のようにあるので、別の記事で書きますが)。

ここで見事に需給関係が成立したわけですが、ここには大きな問題がありました。それは、まだ正しい答えがでていないのに、双方が素人で、考えが甘かったことです。

キュレーションサイトという新しいメディアと、クラウドソーシングを使って働く場を得た素人同然のライターが、著作権薬事法というものの存在を「チラッ」っと言った(聞いた)だけで分かったような気になり、独自見解のもとに進めてしまったわけですから、問題は起こって当然なのです。

そもそも、今でも「薬事法が」といってる時点でちゃんと分かってないことを証明しているわけですが、そんなことが分かるはずもない方々がたくさんいて、そうゆう人たちがキュレーション記事を量産していったことを理解しなければいけません。

 

それでも、なくなるべき存在ではない

さて、私はこれから、いくつかの切り口で、今回の一連の騒動に対する個人的な見解を文章にしていくつもりなのですが、望みはひとつ。

この騒動をきっかけに、WEBの中にあふれる情報も、キュレーションライターというかっこいいネーミングに踊ってしまっている人も、クラウドソーシングという新しいビジネスも、全部正しい方向を見出し、歩き出してほしいということです。

間違った手法を真なんてしまったライターは正しい方法を学べばいいし、クラウドソーシングは正しい方向で発展していくべきだし、キュレーションサイトだって、正しく運営されればすばらしい存在になるはずのもの。

不寛容社会の今、「キュレーションサイトなんてなくなっちまえ」「クラウドソーシングなんてムダな存在」と声高に叫ぶ人がたくさん出てきそうですが、「そうじゃない!」という方向に進むよう、あえて今はマイナスな部分をしっかり伝えていきたいと思います。

私が紆余曲折の末だどりついた、ディレクションフィの算出方法

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フリーランスで仕事をしていると、「見積もりを出してほしい」と言われることがあります。何年たっても、これは難しい仕事であり、時間もかけたくないものです。

今回は、私がディレクションフィの算出をどうしているのかについて、自分の頭の整理も含めて書いてみます。

 

 ライターとディレクターの大きな違い

私は「ディレクションライター」という肩書を名乗っていますので、メインワークはライターとディレクターとなります。

ディレクションとは、雑誌で言えば「編集」にあたります。打合せでクライアントの要望をくみ取り、それを形にするための案をデザイナーなどと相談したり、進行管理をしたりと実に多岐にわたります。クライアントとの窓口になることも多く、気苦労も多い仕事です。

ライターに関しては、ライティングや下調べ、打合せを予測して所要時間を算出し、時給をかけて予算を算出しています。これは、ある程度の経験を積むことでできるようになるスキルのひとつ。

ところが、ディレクションに関しては、打合せにどれくらいの時間を要するのか、またどれくらいの修正が繰り返されるのかが読めないので、ライターと同じ方法で見積もりを出すことはできません。

 

言われたことをカタチにするだけではないディレクターの仕事

そこで私は、まったく別の方法でディレクションフィを算出しています。

その具体的な数値を書く前に、ディレクターの仕事幅について、私の考えを書かせていただきます。ディレクターにはいろいろな人がいて、クライアントさんに言われたことをカタチにするだけの人もいますが、私はそれがすべてだとは思っていません。

WEBについても、印刷物に関しても、クライアントさんは達成したい目標があって、そのために制作物を作りたいと思っています。ただし、制作物をどう作り、どう活用すれば目標が達成できるのか、その具体的な手法については私の方がわかっています。

そこで、クライアントさんが少しでも早く、そして効率的に目標を達成することができるよう、積極的に提案を行っています。

例えば、「サイトへのアクセスが伸びない」という理由でサイトリニューアルを考えている場合、洗練されたサイトを見るのはアクセスした人であり、離脱率が下がることはあっても、自然にアクセスが伸びることはありません。

私にとってディレクションは、言われたことを形にするのではなく、その裏にある目標を達成するためにベストを尽くすこと。もちろん、クライアントの意向は最大限に組み込みますし、制作会社の立場がなくなるようなことはしませんが。

 

1割+2割=3割と考えています

さて、前置きが長くなりました。ディレクションフィの算出です。

私の場合、製作費の総計に対して、一定の割合で提示するようにしています。その割合は3割です。

つまり、100万円のサイト作成であれば30万円。私が窓口となり、WEBサイト作成全体の見積もりを出す場合、私が3割をいただき、残りをデザイナーさんやコーダーさん、別のライターさん等に割り振ります(条件やかかわる人数によって変動することもあります)。

制作会社さんが入っている場合、「3割」という数値を伝えているので、100万円の中に3割を含めることもあれば、100万円に3割をプラスして合計130万円としているところもあるようです(合計130万円だから43万円じゃないの?とは言いません)。

ここにたどり着くまで、紆余曲折がありました。

ライターと同じ方法で算出しようとしていたこともありますが、結果として打ち合わせが多いときに敗北感を味わったり、逆に打ち合わせが少ないときに、申し訳ない気持ちになったりしたこともあります。

そこで、この算出方法には無理があることに気づき、割合で算出することにたどり着きました(3割という数値を基準にする以前には、1割、2割だったこともありますが、どうもしっくりこないものでした)。

3割の内訳は、1割はプランニング(全体設計)、2割は進行と考えています。制作会社さんで、進行管理を別の人が担当することもあります。いわゆるスケジュール管理が仕事なのですが、かえって仕事がスムーズに進まなくなることも多いので、「それは別」と言い切っています。

プランニングに関しては、すでに完成している場合、これはいただかないこともあります。

 

偉そうに書きましたが、実は、他のディレクターさんが、どれくらいのフィをもらっているのか、どうやって算出しているのかを知りません(というか、気にしてません)。

知り合いのWEBディレクターが「3割が基準」と言っていて、偶然の一致で驚いたこともありますが、それだけで一般的な数値だとも言えません。

見積もりに関しては、難しいと感じている人が多くいるでしょうが、結論は「自分で納得できる数値を作り出す」ということ。そして、金額を出したら、それに見合う仕事をするために全力投球です!

 

「過労死をお望みですか?」と平然と言ってみたら、クライアントが思わぬ動きにでた!

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世の中には、無謀なことを平気でのたまうクライアントが存在します。しかも、少なくない!

今回は、と~んでもない指示をひょうひょうと言うクライアントの横暴さに、思わずブチ切れてしまったお話。でも顛末は思わぬ方向に…

 

 横暴な担当者と姿を出さない上司

そのクライアントは、態度が横柄で話を聞かないことで有名な方でした。しかも最悪なのは、それはあくまでも窓口の人間であって、その後ろには打ち合わせに出てこない上司がいるということ。

横柄君は人の話をろくに聞かず、適当なことを上司に報告するため、筋道が通らない修正がたびたび繰り返され、

「そこを修正をすると、今回の企画の趣旨が変わってしまいますけど?」

といってものら~りくら~り。そして最終的には、「上が変えろっていってるんで」という言葉を伝家の宝刀かのように振り下ろす人です。

が!!

趣旨からずれてしまえば、企業としても意味がなくなるので再修正して元に戻るとか、さらに修正ということを繰り返していました。

そんなこんなな状況で、私は「も~受注は無理。この仕事で最後にしよう」と思っていたわけです。

 

 夜8時にでた修正指示内容に、「はぁ?」

その最後の仕事は、会報誌の制作。私はディレクションと一部のライティングを担当していました。

いつものように、のらりくらりの指示と確認を受けながら、やっとの思いで最終OKをもらい、いよいよ明日は印刷に出すぞ!というタイミングで電話が鳴ります。

「あ~、夜に申し訳ないんですけど、修正してもらいたい場所があるんですよ」

私は不吉な予感を感じながら、「どこですか?」と聞くと・・・。

「今まで、赤系の色を多用してもらってきたんですけど、イメチェンしたいんで寒色系に変更してもらえますか? あと、取材先から変更希望があったんですけど、伝えるの忘れてました。今から送ります」

この連絡があったのは夜の8時。

ふざけんなよ!と思う言葉を無理やり飲み込んで、ひとまず修正指示を待つことに。

5分後、送られてきた内容は、「記事中にネガティブな印象を与える内容が散見されるので、すべて削除し、別の内容に書き換える」・・・のみ。

3000文字弱、3ページにわたるインタビューの修正です。原稿を書く前にも、初稿を出す段階でも、「ネガティブな内容が多くなるので、修正の必要があれば書き換えます」と伝え、二稿、三稿と重ねたはず。

この段階でその指示は何?なめてんの?

深呼吸ののち電話をかけました。

・色の変更は簡単なものではないので、時間かかるよ!

・文章の修正はやるにはやるけど、前々から確認を重ねてきたことなのになんで今?このタイミングなら、具体的な指示出してよ!

すると、驚きの返事が。

「上の指示で、発行日は変えられないんで、明日の朝までにやってもらわないと困るんすよね~」

さて、ここで私の脳内で、ぷっち~ん!!!!と何かが切れる音がしました。

 

 こいつじゃ話にならん!と思い次の行動に・・・

「わかりました」

と電話を切り、再度深呼吸をして、名刺ホルダーから名刺を出し、再度電話しました。

相手は、横柄君の上司。

内容はこれまでの経緯と先ほどの指示内容。それを実行するのに要する時間。

「2日寝ずにやれば発行日には間に合いますが、御社は過労死をお望みですか?」

まぁ、2日寝ないくらいで過労死はしないんですが、あまりの理不尽さを伝えるために、そういうしかなかったんです。

上司は黙って聞いていたので、速攻で仕事を切られるかと思っていました。でも、それは覚悟の上。それほどの無茶だったのです。

 

 上司は紳士だった!

沈黙の後、上司は話をしだしました。

「大変申し訳ないことをしてしまった。原田さんとは長く仕事をしていきたが、報告を聞く限りでは問題を感じてなかったし、成果物にも満足してきた。横柄君とペースが合う人間は珍しく、原田さんは経験があるのでうまくいっていると信じていた。そんなに無理をさせていたとは・・・」

しかも、寒色系にする話は一か月以上前に決まっていたことや、インタビュー記事がネガティブになっているのは了承済みであること(そもそもインタビュイーを選んだ時点でネガティブになるのは予測できていた)など、ふむふむな内容でした。

電話が終わったのは9時過ぎ。

上司さんには終始紳士的な対応をいただき、翌日、再度顔を合わせて打ち合わせをすることになりました。

 

 ギャラ2割増しで契約継続!!

さて翌日・・・

打ち合わせに行くと、横柄君は平謝り。上役は、打ち合わせに自分が同席することを条件に、今後も仕事を継続してもらえないかと打診されました。

しかも、これまで不要な手間をかけていた分ということで、費用は2割増し。とてもよいお取引を続けました。

この「事件」は2年前のこと。この後も仕事は継続し、この秋、上役が退職されるということで、私もお取引を終了させていただくことになりました。

夜に上役に電話をするのは常識がない行動ですが、何でもかんでも我慢すればいいというものではないと私は思っています。そこで「もうやめます」というのはひとつの解決策かもしれません。実際に、多くの人がそうしているでしょう。

でも、時には筋を通してもいいのではないかと思うのです。私のもとには、ライターやデザイナーなど、複数のサポーターがいました。この件は、私だけの問題ではなく、大切なサポーターたちの仕事ぶりにもかかわるものでした。

言ってよかった。

それが素直な感想であり、私のそれからの仕事スタイルを方向づけた一件でもありました。

沖縄の「土人」発言事件で感じた、マスコミが作る新しい差別の構図

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沖縄での機動隊による「土人」発言が差別だと大問題になっていますが、多くの人が感じたのは「土人って何?」「差別用語なの?」という疑問。ところが、そんな現状は存在しないかのように問題はどんどん大きくなっています。

過去に、沖縄に対する差別があったのは事実ですし、それをうやむやにするつもりはありません。ただ、今となっては感じていない人の方が多い沖縄への差別を、情報発信という名の元でマスコミがあおっていく。そんな危険性を露呈したと感じているのは私だけでしょうか?

 

沖縄の警備を大阪府警が行っていた

まずは、今回の件のおさらいから。

沖縄の米軍訓練場のヘリパッド移設工事に反対する人たちの行動を警備していた機動隊員がもみ合う中で「土人」と発言したことが今回の問題のスタートです。この機動隊員が大阪府警の人だったため、「本土の人間が沖縄の人を差別しているから、そんな発言がでるんだ!」とマスコミが取り上げ、大騒ぎになりました。

さらに、大阪府の松井知事が「表現が不適切だったとしても一生懸命、命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」とツイートしたことで騒ぎは拡大し、「辞職してほしい」というクレームまで寄せられていると報道されています。

 

以前は身近にあった差別用語

私が最初にこの事件を耳にしたとき、「そういえば、土人って最近聞かない単語だな」と思いました。私が小学生の頃は、今ほど差別用語に敏感ではなく、土人をはじめ、今となっては差別用語として使用されなくなった言葉があふれていました。

ただし、それらの差別用語を実際に誰かを差別するために使っていた記憶はなく、他の一般的な単語と同じように、普通の言葉として使っていました。

例えば、中国や中国人を表現する「支那」という表現。

25年ほど前、某ラーメンチェーンがチェーン展開を本格化するにあたり、ラーメンを支那そば」という言い方に変えようとしました。店頭用の大きな垂れ幕も用意し、「さぁ行くぞ!」となったタイミングで、「支那」は差別用語だという指摘を受け、急きょ使用を中止するのを目の当たりにしました。

常識がなかったと言われればそれまでなのですが、そのチェーンの社員の年齢は総じて若く、誰も差別用語だと思わなかっただけでなく、むしろお洒落な言い方だとすら感じていたので、大きな驚きを感じたのです。

もちろん、差別意識がなくても、それを聞いて「差別されている」と感じる人がいるのであれば使用は避けるべきですが、だからと言って意識なく使ってしまった人をみんなで寄ってたかって非難するのはあまりにも軽薄。「それは差別用語だから、使用すべきではない」と教え、反省を促すというステップが最初にあるべきです。

 

悪意があった前提で差別を作り上げたマスコミ報道

今回の件で、土人と発言した2人は20代の若者です。彼らに差別意識があったかどうか、真実は分かりません。ただし、マスコミに取り上げられて早々に「土人」と発言したことを認めたことを見ても、差別意識はなかったか、かなり薄かったのではないかと推察しています(実際に差別意識はなかったと発言しています)。

ところが、マスコミは競うようにして騒ぎ立てます。

土人は差別用語として認識されている言葉だとわざわざ説明をした上で、「本土の人は沖縄を侮蔑しているから、こんな発言が出る」とか「私はずっと差別されていると感じてきた」という人の意見を取り上げ、本土の人は沖縄の人を差別しているという構図がずっとあるかのような方向付けをしていきました。

その結果、何が起こるでしょうか?

これまで差別を感じていなかった沖縄の人の心の中に変化が生まれてきます。「そんな風に思われているなんて知らなかった」と衝撃を受け、沖縄に住む親に「つらい思いをしてないか?」と心配され、「そういえば・・・」と差別とは関係のないことにまで敏感に反応するようになり、人間関係に隙間を作っていきます。

ちなみに私の実家は大阪にあり、夫は沖縄びいきの東京人です。「大阪の人は沖縄への差別意識が強いらしい」とどこから仕入れてきたのか分からない情報を元に怒りを感じているようですが、私が育った中で沖縄の人を特別視する風習に出会ったことはありません。今回の報道は、こういった無用な隙間を作っているのです。

 

差別を感じていない世代は戸惑っている

今回の報道を受け、「土人」という言葉について何人かの人に聞いてみましたが、「差別用語だと言われればそうだよね」という程度の人はいましたが、差別用語だと確信を持っていた人はいませんでした。「土人」という言葉を知らない人もいました。

きっと幼い日に、数回は土人と言っていたであろう私も、そして友人たちも、そこに差別的意識はなく、今では「アベック」や「花金」という言葉が使われなくなったのと同じように、今は使わなくなった古い言葉のひとつとして認識しているにすぎなかったのです

だから使っていいとは言いません。

ただ、今回のことでマスコミは、「差別はある」と断言してしまいました。残念ながら、過去には沖縄の人がそう感じることがあったのが事実ですが、少なくとも今は、本土の人の意識の中に差別意識はほとんどありません。多くの人は、「そんなこと思ってないよ」と驚きさえ感じたでしょうし、私の周りの沖縄の人々も「そんな風に感じたことがない」と戸惑っています。

でも、この戸惑いは、自分が知らないだけで差別は潜在的に存在し続けているのだという作り上げられた既成事実によるものであり、当面は消えることのないものです。

 

沖縄は、先の大戦で戦場と化し、その影響や地理的条件もあり、今でも米軍基地の多くが存在し、様々な問題と心労を感じているのはまぎれもない事実です。そんな歴史的な背景から、沖縄の人が差別問題に敏感になっている面もあるでしょう。その一方で、沖縄問題に無関心な本土の人が多いのも現実であり、解消されなければならない重要項目のひとつですが、だから差別意識があるというものではありません。

マスコミの影響力は、その質に関係なく、大きなものです。センセーショナルに伝えることが社会の関心をひき、より大きな存在感を示すことにつながるために、いつのまにか偏った情報や決めつけをしてしまうのも分かっています(私もそんな中で生きているライターです)。

でも、自社の存在感を増したいための行動が、世の中の不和をうみだし、住みにくい世の中を作っていることを、いい加減、気づいてほしいものです。