思秋期ライターの備忘録

気付けばフリーランス歴18年。インタビュー人数1000人オーバー。48歳の不健康女、原田園子が好きなことだけを勝手に書くBlog

沖縄の「土人」発言事件で感じた、マスコミが作る新しい差別の構図

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沖縄での機動隊による「土人」発言が差別だと大問題になっていますが、多くの人が感じたのは「土人って何?」「差別用語なの?」という疑問。ところが、そんな現状は存在しないかのように問題はどんどん大きくなっています。

過去に、沖縄に対する差別があったのは事実ですし、それをうやむやにするつもりはありません。ただ、今となっては感じていない人の方が多い沖縄への差別を、情報発信という名の元でマスコミがあおっていく。そんな危険性を露呈したと感じているのは私だけでしょうか?

 

沖縄の警備を大阪府警が行っていた

まずは、今回の件のおさらいから。

沖縄の米軍訓練場のヘリパッド移設工事に反対する人たちの行動を警備していた機動隊員がもみ合う中で「土人」と発言したことが今回の問題のスタートです。この機動隊員が大阪府警の人だったため、「本土の人間が沖縄の人を差別しているから、そんな発言がでるんだ!」とマスコミが取り上げ、大騒ぎになりました。

さらに、大阪府の松井知事が「表現が不適切だったとしても一生懸命、命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」とツイートしたことで騒ぎは拡大し、「辞職してほしい」というクレームまで寄せられていると報道されています。

 

以前は身近にあった差別用語

私が最初にこの事件を耳にしたとき、「そういえば、土人って最近聞かない単語だな」と思いました。私が小学生の頃は、今ほど差別用語に敏感ではなく、土人をはじめ、今となっては差別用語として使用されなくなった言葉があふれていました。

ただし、それらの差別用語を実際に誰かを差別するために使っていた記憶はなく、他の一般的な単語と同じように、普通の言葉として使っていました。

例えば、中国や中国人を表現する「支那」という表現。

25年ほど前、某ラーメンチェーンがチェーン展開を本格化するにあたり、ラーメンを支那そば」という言い方に変えようとしました。店頭用の大きな垂れ幕も用意し、「さぁ行くぞ!」となったタイミングで、「支那」は差別用語だという指摘を受け、急きょ使用を中止するのを目の当たりにしました。

常識がなかったと言われればそれまでなのですが、そのチェーンの社員の年齢は総じて若く、誰も差別用語だと思わなかっただけでなく、むしろお洒落な言い方だとすら感じていたので、大きな驚きを感じたのです。

もちろん、差別意識がなくても、それを聞いて「差別されている」と感じる人がいるのであれば使用は避けるべきですが、だからと言って意識なく使ってしまった人をみんなで寄ってたかって非難するのはあまりにも軽薄。「それは差別用語だから、使用すべきではない」と教え、反省を促すというステップが最初にあるべきです。

 

悪意があった前提で差別を作り上げたマスコミ報道

今回の件で、土人と発言した2人は20代の若者です。彼らに差別意識があったかどうか、真実は分かりません。ただし、マスコミに取り上げられて早々に「土人」と発言したことを認めたことを見ても、差別意識はなかったか、かなり薄かったのではないかと推察しています(実際に差別意識はなかったと発言しています)。

ところが、マスコミは競うようにして騒ぎ立てます。

土人は差別用語として認識されている言葉だとわざわざ説明をした上で、「本土の人は沖縄を侮蔑しているから、こんな発言が出る」とか「私はずっと差別されていると感じてきた」という人の意見を取り上げ、本土の人は沖縄の人を差別しているという構図がずっとあるかのような方向付けをしていきました。

その結果、何が起こるでしょうか?

これまで差別を感じていなかった沖縄の人の心の中に変化が生まれてきます。「そんな風に思われているなんて知らなかった」と衝撃を受け、沖縄に住む親に「つらい思いをしてないか?」と心配され、「そういえば・・・」と差別とは関係のないことにまで敏感に反応するようになり、人間関係に隙間を作っていきます。

ちなみに私の実家は大阪にあり、夫は沖縄びいきの東京人です。「大阪の人は沖縄への差別意識が強いらしい」とどこから仕入れてきたのか分からない情報を元に怒りを感じているようですが、私が育った中で沖縄の人を特別視する風習に出会ったことはありません。今回の報道は、こういった無用な隙間を作っているのです。

 

差別を感じていない世代は戸惑っている

今回の報道を受け、「土人」という言葉について何人かの人に聞いてみましたが、「差別用語だと言われればそうだよね」という程度の人はいましたが、差別用語だと確信を持っていた人はいませんでした。「土人」という言葉を知らない人もいました。

きっと幼い日に、数回は土人と言っていたであろう私も、そして友人たちも、そこに差別的意識はなく、今では「アベック」や「花金」という言葉が使われなくなったのと同じように、今は使わなくなった古い言葉のひとつとして認識しているにすぎなかったのです

だから使っていいとは言いません。

ただ、今回のことでマスコミは、「差別はある」と断言してしまいました。残念ながら、過去には沖縄の人がそう感じることがあったのが事実ですが、少なくとも今は、本土の人の意識の中に差別意識はほとんどありません。多くの人は、「そんなこと思ってないよ」と驚きさえ感じたでしょうし、私の周りの沖縄の人々も「そんな風に感じたことがない」と戸惑っています。

でも、この戸惑いは、自分が知らないだけで差別は潜在的に存在し続けているのだという作り上げられた既成事実によるものであり、当面は消えることのないものです。

 

沖縄は、先の大戦で戦場と化し、その影響や地理的条件もあり、今でも米軍基地の多くが存在し、様々な問題と心労を感じているのはまぎれもない事実です。そんな歴史的な背景から、沖縄の人が差別問題に敏感になっている面もあるでしょう。その一方で、沖縄問題に無関心な本土の人が多いのも現実であり、解消されなければならない重要項目のひとつですが、だから差別意識があるというものではありません。

マスコミの影響力は、その質に関係なく、大きなものです。センセーショナルに伝えることが社会の関心をひき、より大きな存在感を示すことにつながるために、いつのまにか偏った情報や決めつけをしてしまうのも分かっています(私もそんな中で生きているライターです)。

でも、自社の存在感を増したいための行動が、世の中の不和をうみだし、住みにくい世の中を作っていることを、いい加減、気づいてほしいものです。