思秋期ライターの備忘録

気付けばフリーランス歴18年。インタビュー人数1000人オーバー。48歳の不健康女、原田園子が好きなことだけを勝手に書くBlog

金銭感覚は人それぞれ。勝手にアドバイスする人の意見は聞かない方がいい

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金銭感覚って人によって違いがありますよね。

高いお金を払って高級レストランで食事をしたいという人もいれば、極端な話、食事はなしでもいいからファッションにお金を使いたいという人もいます。

この感覚は『自分が何かを売る立場』になっても同じことがいえます。

どんな感覚を持った人をターゲットにするのかによって違いが出るものであり、そのために市場調査なりの下調べをするわけですが、勝手にアドバイスをしてくる人はそんな背景を考えず、自分がすべて!!と言わんばかりに余計な助言をし、いろいろな戸惑いを与えてくれます。

「手間がかかることはやめた方がいい」の意味

先日、私が温めているビジネスの話をする機会があり、ほんの入り口だけを話したのですが、見事に否定の言葉の嵐がやってきました。

まぁ、そうなることが分かっていたので、あえて入り口しか話さずに反応を見た私も確信犯な部分はあるのですが、そこはさておき・・・

否定的な発言の中身の第一は以下。

「手間がかかりそうで大変」

確かに手間がかかる仕事なんです。でも私は、「手間をかけることでいいものが仕上がるのであれば、それもあり」と思っているので、そこは問題ありません。確かに月に1件しかこなせない仕事になるかもしれません。時には2か月で1件かも。でもそれでいいと思っています。だって、そうやることが差別化にもなりますから。

でも、それを伝えると彼らは言います。

「それじゃ、割に合わないじゃん」

手間=時間がかかるのであれば、それに対する対価はしっかり発生すべきだと思っています。仕事はボランティアではありません。継続していくためには、それ相応の対価が発生するのは当然。それに納得してもらえるだけのクォリティで仕上げるのが自分の成長にもなります。

彼らのいう「手間がかかるからやめるべし」という意見のベースには、「安い金額しかもらわない」という絶対的前提があるんです。

高い価格で買う人は少ない? だからいいんです!

これに対する私の答えは・・・

「手間はかかるよ。だから高い価格設定にする」

すると次はこう言われます。

「え~、そんなに高いお金を払う人なんて、そういないよ」

「他でもっと安くやってるところあるよ」

もうね、はっきり言って、そんなの知ってるよって感じです。少なくとも、勝手にアドバイスをしているあなたよりは調べてますよと・・・

安くやっているところがあるのは知っています。でもそこが狙っているのは、「一人でも多くのお客さん」です。

一方私が狙っているのは、「価格が高くても、それに見合った質があれば納得するお客さん」なわけです。勝手にアドバイザー達が言うように、「そういない」のは知っています。でも逆に、たくさんいたって受注しきれないので、ほんの一握りしかニーズがなくてもいいのです。そこを狙って勝負していくのですから。

そして少ない受注を丁寧に進めていくビジネスモデルなわけです。

ターゲット外の人の意見は聞くな!

「俺だったら、絶対頼まないゎ」

彼はそんなことを何度も言っていました。ここで自分のプランに自信がない人だったら、「やっぱりそうなのかなぁ」と不安を感じてしまいます。

でも、忘れてはいけない根本的なことがあります。

それは、彼が安いことを優先に物事を選ぶ人であり、そもそも私が始めようと思っているものを必要としていない人です。つまり、ビジネスをスタートしてもターゲットではない人。

そんな人の勝手なアドバイスを聞いても、はっきり言って何の意味もありません。だから私は心で叫んでいました。

「それを知ってるから、あんたをターゲットにしてないんだよ!」

冷たいようですが、この考え方がとっても大切。本当のアドバイスがほしいなら、しかるべき人にちゃんとお金を払ってアドバイスをもらうべきです。無料のアドバイスは、何の責任も発生しません。気軽に聞ける分、どうでもいいものでしかないのです。

 

成長のない人と消せない過去

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ある人が生々しくディスられていた過去記事

昨夜、あまりにやる気がなかったので、ネットをフラフラしていたら、ある人がボロクソにディスられているサイトにたどり着きました。

それが過去のものだったので、あまりの成長のなさに失笑つつ読んでいたものの、ふと冷静になって戦慄。

なぜなら、15年近くも前のものだったのです。

もし仮に、この某氏が改心し立派な(もしくは普通の)人になっていたとしても、この過去は決して消えません。検索すれば、ポーンッと出てきてしまうのです。

 

これは何かの不運で事実無根の冤罪のようなことになっても、ネットの噂は消えないということです。

恐ろしい!!

(もちろん申請すれば決してもらえる仕組みはできていますが、実際にそれを行使するのは限られた条件であり、しかも完璧ではありません)

 

ちなみに某氏は、所有サイトで事実関係を書き反論を試みている様子。

一部にそれを紹介しつつ擁護する意見もあるのですが、今となっては肝心のそのサイトが閉鎖されているため、URLをクリックすると[404エラー]。あやしさが倍増し、余計にマイナスな事だけが印象に残るという悲劇( ̄◇ ̄;)

 

自業自得というけれど・・・

火のないところに煙は立たないし、身から出たサビなんだけど(特に今回発見した方は自業自得)、ネット社会はミスを許さないだけでなく、改心も許さないという側面を改めて実感。怖いわぁ~

「人の噂も七十五日」なんて言いますが、ネットではいつでも一日目が再スタートしてしまうので、いつまでたっても七十五日経ちません。誰かに七十五日が来ても、別の誰かには一日目が来てしまう。そうやって15年の間、あの記事は存在してきたのでしょう。

 

オマケ

そんなネットの現実に怯えつつ、自分の名前をエゴサーチ

同姓同名のヒーラーやら大学の名誉教授やらが上位にできました。

あれれれ?

フリーランスで活動してるのに、この現状は問題あり。

これはこれでヤバいね ( ̄◇ ̄;)

収入が不安定でも、私が取引先を分散する理由

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昨日、制作会社さんから連絡が来ました。

「継続で依頼していたお仕事の件ですが、今回作成分で終了です」

チーン!!!

仕事は突然終わります。そして悲しいことに、それはギャラも終わることを意味しています。

でも、生きて行かなきゃいけないんだよ~!ってことで、私は突然の仕事終了で路頭に迷わないようにリスクを分散するように仕事をしています。今回は、そんな話です。

 

エンドレス感すらあったのに、最後通告は突然に

先に書いておくと、ここで書く「突然終わる仕事」というのは、自分の落ち度(クオリティが低いとか、マナーがなってないとか)のものではなく、私の立場ではどうしようもないものです。自分に問題があるのは別です!(キッパリ)

 

今回のお仕事は、誰もが知る大手通販会社「R」さん。私はそこで女性向けの事業の連載コラムを担当していました。間に制作会社さんが入っています。開始から半年経っています?

制作会社さんも含め、エンドレス感すら感じていました。数年は続くのかな…と。そのため制作会社さんも、「順調です~♪」と行っていたのですが、突然の打ち切り宣言。理由は「経費削減」。時期は「一刻も早く」。どないやねん!

「R」の担当者さん曰く、「内容は悪くない。むしろ満足度が高く、これからもお付き合いをしたいし、またお願いできることがあれば絶対に依頼する。けど、上から経費削減と言われた今、どうしても継続ができない」

ということで、来週納品に向けてライティングしているものをもって、終了となりました。

急すぎて、「何かあったな・・・」と勘繰ったりもしますが、それを探ってる時間がもったいないので、とっとと次に向かいます。

 

定期案件の取引先と案件ごと発注の会社と広く浅くお付き合いする

さて、私がここでサックリと気持ちを切り替えられるのは、一番は本来の性格だともうのですが(笑)、この仕事がなくなっても収入が途絶えることがない安心感からです。

まぁ、今回の「R」は月5万チョイの仕事なので、そもそもウェイトが大きいわけではないのですが、例え大きな仕事が急になくなっても、何とかなるように体勢を整えています。

例えば、私が定期として仕事を請けている(何らかの収入が毎月ある)取引先は、4社あります。今回の「R」の仕事が終わったので、3社になりますね。

他に、案件ごとに仕事を振ってくれるところが、7つくらいあります。その中には、「書けるときになったら書いて」というありがたいものもあるので、今月は収入が少ないと思えば、そこの記事を書けば穴埋めができます。

また、自分でやりたい仕事もあるので、この機会に進めてしまってもいいかなと思っています。

 

これを話すと、「原田さんは、今までのお付き合いとか実績があるから」と言われるのですが、それは大きな誤解。実際、数少ない取引先に絞って大きな収入を得ているフリーランスは多くいます。いわゆる“お抱え”とか“専属”と言われる人たちです。

でも私は、多少収入が減ることになっても、複数の取引先と仕事をすることを選んできました。さらに言えば、「書けるときになったら書いて」と言われるように仕向けてもきました。

なぜか?

それは私が大きなリスクを負わせたことがあるからです。

 

200万円弱の未払いを経験させた過去

その昔、私が制作の責任あるポストを任されていた時、ライターやデザイナーとギャラを決め、仕事を振っていました。当然ながら、契約は会社です。その中に気の合うデザイナーさんがいて、彼女に月30万円くらいの仕事をやってもらっていました。毎月・・・

すると彼女は、「安定収入ができたから」と他の受注をストップするようになり、「専属になりたい」と申し出てきました。実はその時、私はそのポストから外れよう(というか、その会社と契約を切ろう)と思っていたので反対したのですが、経営者と直接交渉して契約してしまいました。私は彼女を置いて去ったのです。

その後、その会社は経営が傾き、支払いが遅れるようになります。そして最後に経営者は、「いつか必ず払うから」というメールを送って“ドロン”。彼女は半年分のギャラ200万円弱をもらえないまま今に至ります。

今でも彼女とお付き合いはあり、私を恨んでるようなことはないのですが、とてもつらい思いをしたのは間違いありません。

 

収入は不安定でも、今のやり方は変えない

ありがたいことに、私の周りにも、「うちの仕事をメインでやらない?」と誘ってくださる方が何人かいらっしゃいます。「社員に」という話はありませんが、一般的なOLさんよりはかなりいい価格の提示もうけますが、私は一社に絞るつもりはありません。

その会社の将来を危ぶんでるという訳ではありません。

ただ、一社に絞ると他とのお付き合いが薄くなり、「書けるときに書いていい」というようなところはなくなってしまいますし、営業力も劣ってしまいます。それが怖い。万が一の時に、逃げ道がなくなってしまうんですよね。

フリーランス歴16年。あれこれ考えて行きついた渡世術。仕事は一社に絞らない。これはかなり重要だと思います。

 

 

大人になって分かった「虎の威を借る狐」は自分の価値を落とすことに余念がない人だった

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キツネさんスゴイ!と思った小学生の私

小学生の頃、私はことわざが好きでした。でも所詮小学生。薄っぺらな人生経験では、到底理解が及ばないものも多くありました。

その代表が「虎の威を借る狐」。

念のため、このベースになっている話は以下です。

キツネがトラに襲われそうになったとき、「私は百獣の王に任命されたんだ。ウソだと思うならついてこい」と言ってトラを従えて歩いたら他の獣たちが逃げていった、というものです。ここでキツネは、「オレってすごい!」とおバカ全開の勘違いをするために、このことわざの意味は「権威を持つ人に頼って、威張る小者」となります。

ところが当時の私には今一つ理解できず、「本当は頭がいいのに、肝心なところで勘違いをしたもったいない人」という理解をしていました。「だって、キツネさんはすっごく怖くて泣きそうなのに、百獣の王だっていうなんてめっちゃすごいやん!」という理解でした。

 

社会にいっぱいいた、小さな小さなキツネたち

ところが大人になると、気づきます。「虎の威を借る狐」って、あれ??ということに。

「私は〇〇さんと一緒に仕事したことあるんですよ」って名刺交換しただけとか、「〇〇さんに直接ビジネス論を教わってるんですよ」ってセミナーに参加しただけとか。もっと厄介なのは、「私は〇〇と友達なんですよ」と言って聞いてみたらFBの友達かよ!って人もいますね。今はFB友もありだと思うんですけど、せめて個人でメッセージをやり取りしてるとかじゃないと・・・と思うんですけどね。

さらにこじれた人の場合、「私〇〇選手と同じ学校でね」って学年全然違って、もうどうでもいいレベルの自慢を炸裂させる人もいます。話題作りとして使うならOKだと思うんですが、それが自慢になると抵抗感しか感じない。

面倒な人の中には、人生の折り返し地点を過ぎてもなお「私の親は〇〇でして・・・」なんて定年退職した親の「元」職業自慢をする人もいます。会社を引き継いだとかならわかるのですが、そうでもないのに自慢話として話す人は、小さいころに「お前のかあちゃん出ベソ!」って言われて泣いて帰った頃から成長できなかったんだな・・・と切なく思います。

 

しかも、そんなちっちゃ~い人が「虎」と信じて疑わない人が、他の人から見たら「所詮ちょっと大きい狐」だったりすることもあったりして、もう失笑するのさえもったいない!

 

自分の価値は「自分」でしかない

キツネが虎の威を借ること自体は、必要なときもあると思います。例えば社会人になって 間がないころに勤務先の看板を利用して自分を大きく見せるとか、「私の取引先に〇〇があります」なんて言うのもありでしょう。

でも、これが許されるのは「若い頃」。自分を高めて見せるだけの価値を構築できていない人が唯一できる技だと思うのです。

 

(残念なことに?)それなりの年齢になったら、自分の価値は自分で築いたものでしかなくなります。しかも年齢を重ねると、関わる人のレベルもおのずと上がっていき、「お前、トラ従えてるけど、ただのキツネじゃん!」と、しょうもない虚勢はすぐにばれてしまいます。

にも関わらず、「ハイハイ、百獣の王さんwwwwww」なんていうもんだから、多くのキツネは「やっぱ俺って、百獣の王だゎ」と悦に浸る。いや、それ、半笑いで言われてますよ~。語尾に「w」が付きまくってますよ~って感じなんですけどね~。

 

さらに残念なことに、このおバカなキツネさんは、自分を高めるのではなく、さらにすごいトラを見つけ出したり、トラの数を増やしたりします。するとますます自分との乖離が発生し、逆に自分の価値が低いことを証明するようになっていきます。

ブスな人が、モデル級にキレイでかわいい人に囲まれると、本人は「私もモデル級だゎ~」と思うのかもしれませんが、周りから見たらただの引き立て役。中には仲間だと思ってる美人さんにさえ、便利な引き立て役だと思われている人もいます。

 

年齢を重ねると、トラ探しに疲れる

改めて、自分の周りを見渡すとキツネがいっぱいいます。私は思秋期ですから、周りにいる人も思秋期やそれ以上の人が増えています。

それでもなお、トラの威を借りようとするキツネは、なんだか疲れて見えるようになってきました。トラを従えるより、自分のレベルで勝負するほうが人生も楽しめると思うのですが、どうなんでしょう? 

追い詰められたときに、「俺は百獣の王」と論破できるすばらしさがあるはずなんですけどね・・・

何にしても、必死になってトラを探し自分の価値を落とすなんて、私にはゴメンです。

 

とりとめがない内容になりましたが、「虎の威を借る狐」は英語バージョンもあります。

[An ass in a lion's skin.]

意味は、「ライオンの皮を被ったロバ」。どっちにしてもイヤだゎ!

ブランディングとストーカーのはざまで、名前の公開について考える

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最近、ブランディングについて話をする機会が増え、自分のことを差し置いていけしゃぁしゃぁと語っている私です。

はい。冷静に考えると、自分を棚に上げ過ぎです・・・

 

そんなことはさておき、私はブランディングに欠かせない要素のひとつに「名前」があると思っています。

本当はあだ名や呼び名でもいいのですが、ビジネスの面においては、まだまだ「苗字+名前」の方が断然信用されます。あだ名にする場合、それをプラスに変えるパーソナリティがあるならいいんですけど、多くの人にはありません。

ここ数か月の間に、この名前に関する議論(と言うほどでもないけれど)があったのでちょっと整理してみます。

 

バリバリ働きたいけど名前は公開したくないライターのタマゴ

クリエイターの中には、本名を明かさない人が多くいます。個人的にデザイン系のクリエイターはセンス勝負な面が多いので、名前が英語で、しかも簡単に読めなくてもいいと思っています。成果物が評価ですから。

でもライターやディレクター、プロデューサーは、クライアントと信頼関係を築きながら仕事をしていかなくてはいけないので、ちゃんと名前を名乗るべきです。なぜなら、企業の名刺にあだ名はないわけで、それがスタンダードだと思っている人を相手に信用を築くには、同じ物差しを持つことは絶対条件だからです。

ところが先日あったライターさんは、名刺に英語で名前が書かれているのみ。しかも読めない・・・

「本名は?」ときくと、「いろいろ危険だと思うので、言うつもりはありません」とキッパリ。

いやさ、今は下請けでも守秘義務の契約を結ぶことが多くあるわけで、契約書はどうすんのよ?と聞いたら、「本名を明かさないといけないなんて、今時おかしいですよね!」と持論を展開していました。

100歩譲って、著者にみょうちくりんな名前を書くのはいいとして、クライアントやら仕事を振る私には本名明かせよ!やりにくいゎ!!と思うわけです。

こうゆう人、一人二人じゃなくて増えてます。そして共通しているのは、名刺に名前とメアドしかないこと。電話番号すらない。

「LINEとかFacebookSkypeの電話機能で十分じゃないですか!」ってスタンスなんだけど、これらを明かすのは信用してもらうためのもの。最近は、実際に使うことはめっきり減っています。

フリーランスで自宅の住所を公開したくないなら、1万円でレンタルオフィス借りれるわけだし、電話は安いガラケーを仕事専用に用意すればいい。

何だかんだと郵送物が送られることはあるし、電話での連絡がベースの人なんて世の中にまだまだいっぱいいることを知っておくべきと思います。

ってか、お前、自分があれこれ要望出せる立場になってから言えよ!!!

「おいしい仕事の話あったら、よろしく!」って言われたけど、絶対に一緒にやりたくありません。

 

ストーカー被害にあった美人さん

ある美人さんをブランディングするお手伝いをしているのですが、その方は名前を明かすことを徹底的に拒否します。

でも、お堅い感じの業種なので、名前は絶対に必要と思う私は、別名をつけることを提案しました。芸名です。

ところが・・・

「それって自分じゃなくなるからイヤ」と拒否。どないやねん!!

 

理由を聞くと、過去に仕事関連でストーカー被害にあい、しつこい付きまといをした挙句、自宅にまで電話がかかってきたとのこと。電話帳で調べたようで、なんとも怖い話。

でも、でもですね!だからといって、名無しでブランディングはできません!

何とか、「芸名」をつける方向で話を進めていますが、どうなることやら・・・。

 

芸名があるのに本名との間で揺れるタレント

これはある売れないタレントさんの例。彼女は芸名を持っていて、それで仕事をしているのですが、FacebookやらInstagramは本名。挙句の果てに、ブログは本名と芸名をミックスした第三の名前になっていて、「で、お前は誰やねん!!」状態。

さらに怖いことに、「◎◇さん、いつもブログ見てます」とファンの方が声をかけると、「いやだ~、私は◎◎ですよ。覚えてくださいね!」って、覚えられるかい!!

 

旧姓でも苦労する

と、偉そうに書いている私も、旧姓のままで活動しています。

誰も何もフリーランスについて教えてくれなかった私は、子供が小さかったこともあって、「旧姓+自宅住所」で活動を始めてしまい、今さら名前を変えられない状況に陥っています。

旦那とやっているスポーツバーでも、問い合わせの時に、「男のほうですか?女のほうですか?」と聞くのは面倒なので、旧姓が都合がいいという背景もあります。

しかも名刺に記載している住所は、自分のお店です。なぜなら、自宅に荷物を郵送されても、絶対に受け取れないから。ほぼ無人の家です。実際に仕事をしているのも店内ですし(笑)

さらに打ち合わせに来たいという人にも、「名刺の住所で待ってます!」と言えば済むので、超便利!

ところが、契約書を結ぶときは「戸籍性+自宅住所」になるので、名刺とは別人。相手が大きな法人の場合、口座が開けないことがあります。ちなみに旧姓で契約書を書くと、「ギャラの振込先名義人と違う」というさらにややこしい事態が起こります。

 

仕事が決まったのに、「口座が開けないから仕事やってもらえない」と担当者に言われたとき、「じゃぁ、離婚ましょうか」って冗談半分で言ってますが、半分は本気です(笑)

悲しいことに、ストーカーの心配はないんですけどね。

自覚の症状のない健康問題と仕事。迷わず仕事を取ってしまう私はダメなのか?

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私は“おばちゃん”であり、かなりの“デブ”です。

さらに、ワーカーホリックな部分があり、当然のように健康問題を抱えているわけですが、多くは自覚症状がなく、ひたすら仕事をしてしまいます。

 

身体は弱いが、症状に強い

今抱えている健康問題はこんな感じ。

例えば、

血圧が高い → あらま、そうなの?気を付けないとね~

肝臓の数値が微妙 → 知らなかったぁ、沈黙の臓器だしね~

貧血がスゴイ → それで息が切れるのか。面倒だなぁ。

子宮系の慢性疾患 → 生理が終わるまであと数年のガマンだ!

という感じなわけです。

健康でいたいと思うし、早死にしたくないのだけど、どれも自覚症状らしいものを感じないために、「治そう!」という発想になりません。

 

貧血なんて、「大病院に行ったら輸血されるレベルで、動けてるのが不思議」って言われましたが自覚症状はなく、地下鉄を利用した時に階段しかないと激しくテンションが下がり、激しく息が上がるというだけの話。

これが、息苦しくて階段を上がれない・・・なんてことになれば、さすがにヤバいと思うんでしょうが。

どうやら私は、身体は弱いのですが、症状に強い(感じない)身体に恵まれたようです。

 

仕事バカは死にそうになるまで治らない

フリーランスという仕事は、仕事も収入も安定しないわけで、「死なないレベルにMAXに仕事を請ける」というのが私のスタンスになっています。

実はフリーライターの他に旦那のやっているスポーツバーにも立つので、それはそれはハードなのですが、大学生の息子2人もいるので、それでいいかなぁ~なんて思うわけです。

 

そんなこんなで健康問題を(まったく自覚なく)抱えながら、今日もまたバリバリの夜更かしをしているわけですが、

「健康状態がよくないので、仕事を休みます」

という日が、私にも来るのだろうか?

それって、本格的にヤバい状態になった時だろうな、と思います。

 

でも、この選択って間違ってる。

最近、たま~にそう思うのですが、迷わず仕事を選択するスタイルは変わりそうにありません。

貧乏性なのか、仕事ヲタクなのか、バカなのか。

バカは死ぬまで治らないそうで、瀕死のピンチを感じるまで、私は走り続けちゃうんだろうなぁ。

最大の病気は、仕事大好きなバカってこと。

困ったもんだ・・・

アラフィフになって、シニア市場に興味がわいた

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これから先、ど〜転がってもジジ&ババが増えていく

世界でもまれに見る少子高齢化な日本は、これからじじばば天国になっていきます。

というか、ならないといけないわけです。

実際、私の子どもの頃に比べてジジババは元気で、やることもいっぱいあります。

働かないと生きていけないという方が多いのも現実ですが、高度経済成長を支えてきた世代ですから、働くことは嫌いではないという人も多くいます。

 

ちなみに私の母は、ダンサーです。

もう一度言います。

私の母は、ダンサーです。

まぁ、フラダンサーなんですけどね(笑

彼女がフラダンスに出会ったは50代後半。ハマりにはまって、今では数十人を束ねる先生になりました。かなり厳しいお教室のようです。(しつけに厳しい母は健在)

 

私はこれまで、高齢者に興味がありませんでした。決して嫌っていたわけではありません。正しくは「見ない」という感じです。興味がないから、「見ない」。

ところが、私も46になり身体にちょこちょことガタが来始めると、イヤでもこれから先のことを考えるようになります(長生きするつもりはないのですが)。

同じく年老いた義両親が80歳を超え、「要介護」となると、いろいろな現実も見るわけです。(幸い実母は300歳まで生きそうな勢い)

そんな環境の変化と共に、私にも何かできないかな?と思ってきています。

 

明るく楽しいジジババがたくさんいる

世の中には、「下流老人」みたいなことばかりがフューチャーされ、「暗い老後」しかないような雰囲気ですらありますが、実際には元気で好きなこともやり、仕事もやり、

「あ~もう、ボケてる時間もないわ~」

と笑顔で言ってのけるジジババもたくさんいます。

 

今は「要介護」になってしまった義父も、一度心臓が止まるまではかなり元気でかっこよかった! 今は身動きが取れませんが、だからこそ、動けるうちにもっと何かをやっておきたかったんじゃないかなと思います。

ということで、何かできることを練っています。

ある程度は固まったので準備を着々と・・・。

どうなることかわかりませんが、ひとまず人手が足りない(苦